「再読:ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』」 福岡美佳
大学生の頃に読んだ、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』を
久しぶりに読み直しました。
SFの名作として知られるこの作品は、ドラマ化や舞台化も度々されています。
知的障害を持つ青年・チャーリィが脳の手術を受け、天才的な知能を得る。
けれど、その知能の向上は一時的なもので、やがて再び失われていくという、
悲しくも深い物語です。
日記形式で描かれており、最初は誤字脱字だらけでとても読みにくい文章だったのが、
知能が上がるにつれて文章がどんどん洗練され、そして再び崩れていく。
その文体の変化がとても印象的でした。
大学生の頃に読んだ当時、私はチャーリィの純粋さに心を寄せていました。
彼をからかったり騙したりする周囲の人達、
ありのままの彼を受け入れられなかった母親や妹のノーマに
強い憤りを感じたのを覚えています。
そして、知能が上がることで人間の醜さを知る場面や、
知能の低下を止めようともがく姿、
同じ手術を受けたネズミのアルジャーノンの最期を見て自らの運命を悟る場面、
どれも読んでいて胸が締め付けられるようでした。
ところが、約20年ぶりに読み直してみると、
今度はチャーリィの「周囲の人達」の視点で読んでいる自分に気付きました。
もし自分の子供が知的障害を持っていたら、
その子をありのまま受け入れて愛し続けられるだろうかと、
母親の立場を思ったのです。
チャーリィが思春期を迎え、妹に性的関心を持つのではないかと母親が恐れたこと。
若い頃は「ひどい母親」としか思いませんでしたが、
今はその母親の恐れも少し理解できる気がしました。
また、兄が知的障害者という理由でいじめられ、
親達の目がチャーリィに行きがちだった故に
親の愛情をなかなか得られなかった妹ノーマの苦しみも、今なら痛いほど分かります。
チャーリィとノーマが再会したとき、父親は既に家を出ており、
ノーマは、老いて認知症の兆候が出ている母親と二人暮らし。
彼女のこれからを思うと胸が詰まりました。
同じ物語なのに、20年の歳月を経てこんなにも見え方が変わることに驚きました。
立場や経験が変わると、同じ作品でも
全く違う顔を見せてくれるものなのだと強く感じました。
今、稽古中の舞台『夏の夜空へ』も、きっと観る人の心境や立場によって、
さまざまな受け取り方をされるのだろうなと思います。
だからこそ、一人でも多くの人の心に何かを残せるように…。
そんな想いを胸に稽古に励んでいます。


