Page6–「劇団嫌いの私が!」

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団長の独り言 2025.11.30

11月30日(日)「劇団嫌いの私が!」

劇団ふぁんハウスは
今月の5日で27歳になる。
歴史を紐解いてみると
劇団が出来た1998年は
長野オリンピックがあり、
マイクロソフトはWindows98を出し、
アップルはカラフルでスケルトンの
iMacを出したという年だった。

では、どのような経緯から
劇団ふぁんハウスが誕生したのか?
あれは 劇団ふぁんハウスを
立ち上げる2年ほど前、
プロの俳優時代お世話になり、
参院選挙のスタッフとしても
お仕えした俳優の中村敦夫さんが、

「市民参加型の期間限定劇団」

を創るとの事で、
手伝ってくれないか?と私に声がかかった。

あの頃の私は、
参議院議員秘書の道もなくなり、
かと言って、
芸能事務所に所属するって事もせず、
気持ちの整理がつかないまま
一般人になってはいたけれど、

「いつか、きっと!」

って思いを持ち続け、
大型トラックのドライバー等をやっていたので、
「敦夫さんと、また一緒に何か出来る!」
ってのが嬉しくて、
芝居の内容等やらなんやらは二の次で、
二つ返事で
「やらせてください!」
という返事をした。

そのお芝居というのが、
「ラッツ・大蔵省のドブねずみ」
というタイトルで、
当時の大蔵省の官僚独裁を
コミカルなオペレッタとして
分かりやすく描いた、
中村敦夫さんのオリジナル作品。

私の役回りは、
「大蔵省のドブネズミ役」。

大蔵省の官僚で、
おかまのねずみという設定だったので、
役作りのしようもなく、
共演者とともにイメージと勢いで演じた。

公演は、当時の「新党さきがけ」の
都議や区議がプロデューサーとなり、
都内10か所(だったかな?)の
区民ホールで公演を行った。

その公演の初日だったかなぁ?
新宿区箪笥区民ホールで行われた日、
菅直人さん、鳩山由紀夫さんという
のちに総理大臣になられる
お二人もお越しになり、かなり大盛況!

その日の公演終了後、ロビーにて、
参議院選挙中に面識のあった
菅さんや鳩山さんにご挨拶をさせいただき、
ふっと私の隣にいる共演者のY君見ると、
白杖を持った数名のお客様がY君を取り囲み、
衣裳であるマントとか、
頭にかぶっている「ネズミの耳」なんかを
代わる代わる触りながら、
すごく楽しそうにされていた。

私は、
「見えない人もお芝居を観て楽しむ」
という事に心が動かされ、
楽屋に戻った際、
Y君に「どういう知り合い?」と尋ねると、
彼がボランティアとして参加している
視覚に障害のある人達でつくる
「朗読の会」のメンバーの皆さんが、
揃って観劇に来られたとの事。

その事に興味を示す私にY君が、
「今度の日曜日、
その会に顔を出してみますか?」
と言ってくれたので、
「こんな俺でも何か役にたつのかも!?」
っていう思いから、
会の会合に参加をしてみたら、

近々行う「朗読発表会」の中で、
「ちゃんとしたお芝居がしたい」
という声が
メンバーの女性2名から上がって、
話の流れで、
私が脚本・演出を担当する事になった。

私は生まれて初めて芝居の脚本を描き、
数週間後、「二人芝居」の稽古に入った。

最初はその視覚障害の女性2人が
出る芝居の予定だったのだが、
諸事情によりおひとりの
役者が降板するという事態となり、
急遽、私がその降板した役者の変わりに
二人芝居に出演する事になって、
目の見えない女性と私とで、
「あの日のままで」
という30分程度のお芝居を行った。

その芝居は意外にも評判が良く、
後日、「朗読の会」所属のSさんが、
当時私が住んでいた都営住宅の
固定電話に電話を掛けてきた。

「平野さん、劇団作りませんか!」

Sさんの突然の申し出にびっくり!

聞けば、今回の発表会を終えたあと、

「目のみえない人から、
芝居を観るのも好きだけど
役者としもて演じたい!」

って声が結構出ている・・・という。

「平野さんにお芝居の指導を
して貰いたいって見えない人がいるんです!」
「平野さんの脚本、面白かったです!」

と言ってはくれるが、
実は私、
あの頃は「劇団」ってのが、
あまり好きではなかった。

10代後半から20代の半ばにかけて、
2つの劇団に所属した経験もあったけど、
ちゃんとした事務所に入ってからは、
映画、テレビ、Vシネマの仕事ばかりで、
舞台はといえば商業演劇の出演だった。

そんな私の「劇団」に対するイメージは、
「人間関係がいびつで面倒」
「チケットノルマがキツイ」
「貧乏を自慢する」
「理屈っぽくて思想を押し付ける」
「テレビドラマを馬鹿にしている」
「スタニスラフスラフスキーとか
千田是也とか言っては演劇人ぶる」
「アングラ芝居が流行」
「普段からジャージ姿」・・・。

かなり、いや相当偏見もあったかと思う。
でも、
その偏見がずーっと続いていたので、
いわゆる「劇団」ってものに対して、
拒絶反応があった。

だから
「劇団を創りませんか」って言われても、
受け入れる気にはなれなかった。

それでもSさんは、電話を切ろうとせず、
「せめて演技指導だけでも・・・」と、
あまりにも一生懸命だったので、
根負けした私は、

「目的もなく、
ただ演技指導するのもなぁ~」

って思い、
「劇団ってのをやってみよう・・・
くれぐれも言っておくけど、
1回こっきりだからね」

と念を押して返事をすると、
Sさんは
視覚障害のメンバーを次から次へと募り、
私はと言えば、敦夫さんの芝居で共演していた
メンバーに声をかけ、27年前の12月、
1回こっきりの
「劇団ふぁんハウス」はスタートし、
7か月以上の稽古期間を経て、
1999年7月、日本橋社会教育会館にて、
第1回公演「風に吹かれて」という
オリジナル作品を上演した。

正直、役者のレベルも脚本のレベルも、
素人集団が手探りで創ったもので、
舞台セットは平台2枚のみ。
30分程度の作品で、
お世辞にも「演劇」と呼べるような
代物ではなかった・・・。

しかし、その芝居も結構評判がよくて、
新聞、テレビ等にも随分と
取り上げていただき、
急遽、3か月後に赤坂区民センターにて再演!

すると
「また観たい!」「演じたい」という声があり、
「もう1回・・・もう1回だけ・・・」
とその後も公演回数を重ね、
メンバーが増えたり減ったりをも繰り返し、
何度も解散の危機もありながらも、
やがて劇団の姿勢に賛同してくださる
多くの方々の協力とご支援をうけながら、
劇団はどんどんと進化し続け、
気付けば劇団ふぁんハウスは27歳。

本当に人生って不思議だ。
スタニスラフスキーだの
千田是也だのとは縁遠いけれど、
劇団嫌いだった私が、
今や劇団活動ってものをライフワークにして、
ガムシャラになっているんだもんね。

今年は4月に板橋公演、
9月には京都府綾部市での公演も大成功し、
劇団ふぁんハウスの勢い止まらず、
現在は素敵なメンバー達とともに、
劇団史上最高の「夏の夜空へ」を創るべく、
とっても充実した稽古を、
昨日も今日も繰り広げたのでした。


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