Page4 –「平野恒雄とアリス」

『団長の独り言』PDFファイル(A4サイズ)
↓ こちらからダウンロードできます。
団長の独り言 2023.10.16

10月16日(月)
「平野恒雄とアリス」

ミュージシャンの
谷村新司さんが亡くなられた。
通称チンペイさん。
言わずと知れた(若い世代は知らない?)
音楽グループ「アリス」のリーダー。

あれは私が高校1年生の5月、
同級生の林君から
フォークギターを貰ったのを機に
ギターを弾き始めた。

当時はフォークソングブームが
まだ続いていて、
「かぐや姫」、「井上陽水」、
「風」、「イルカ」等が
フォークギター少年にとっての
お手本で、

「平凡」だか「明星」だか忘れたけれど、
週刊誌の付録の
「ギターコード付き歌詞」を見ながら、
「神田川」「赤ちょうちん」、「あの人の手紙」
なんかを、一生懸命ギターで
弾き語っていたのだが、

その年の9月頃、
アリスの「ジョニーの子守歌」が
流れているのを聞いて虜になり、

同時期に
コマーシャルソングとして流れた、
堀内孝雄のソロシングル
「君の瞳は1万ボルト」で、
アリスってグループに興味を抱き、
「冬の稲妻」「涙の誓い」という
アリスのヒット曲も好きになり、
フォークソングではない、
ニューミュージックという
新しいジャンルのアリスに心酔するようになり、

友達から「栄光への脱出」という
武道館ライブのレコードをテープに入れてもらい、
チンペイさんのMCの話術の虜となって
アリス病に侵されている最中の
高校1年の年末、香里園の味見亭って
蕎麦屋さんでバイト中、
山のような器を洗い場で洗っている時に
有線放送から流れて来た「チャンピオン」の
かっこよさに、完全にノックアウト!

「チャンピオン」
が収録されたアリスVII(セブン)は、
アリスのアルバムの中で
私の一番のお気に入りとなった。

ギターコードを入手するや否や、
「チャンピオン」
「Wild Wind~野性の疾風」等を
夢中になって練習した。

高校3年の文化祭のステージでは、
「Wild Wind~野性の疾風」
「遠くで汽笛を聞きながら」
を満石君と歌ったし、

同級生の仲間達と企画をして、
高校の卒業式を終えた1週間後に
住道の音楽スタジオで開催した
「グラジュレーションコンサート」でも、
「「Wild Wind~野性の疾風」、
「遠くで汽笛を聞きながら」
を満石君と熱唱した。

そして1981年3月、
上京して役者という道に進み始め、
3か月ほど経ったある日、
給料を貯めたお金を握り締めて
お茶の水の楽器店に向かい、
憧れの
モーリス製のフォークギターを買った。

アリスの2人は
モーリスのギターを使用していたので、
ずっと欲しいって思っていた。

フォークギターにしては、
まぁーまぁーなお値段で、
5万円くらいだった。

色はチンペイさんが
コンサートで使っていたのと同じような
赤茶色のやつ。

別にバンド活動するわけじゃないのに、
フッとした時に、アリスの曲の弾き語りが
したいって思っていたし、
モーリスのギターって欲しかったので、
思い切って購入した。

そんなある日、
「アリス解散」の情報が入り、
ファイナルコンサートを行うとの事なので、
「これは行くしかない!」と決意して、
どうやってチケットを
手に入れたのか忘れたけれど、
ネット等がない時代なので、
おそらく公衆電話に十円玉を積んで
(3畳一間のアパートの
部屋には電話なんてなかった・・)
チケット予約センターの繋がらない電話を
ひたすら掛けたと思うけど、
8月31日に後楽園球場で行われた
ファイナルコンサートで、
憧れのアリスと初めて会う事が出来た。

その後、ベーやんは演歌歌手になり、
チンペイさんは音楽家兼文化人になり、
きんちゃんは、六本木で飲食店を経営して
いたけれど、心の片隅には、
ファイナル・コンサートの時のチンペイさんが、
「どっかでまた会おな。(関西弁)」と、
優しく語ってくれたその言葉を
ずっと忘れずに長い月日を過ごしていた。

その間、私も色々な人生を歩み、
「劇団ふぁんハウス」を
軌道に乗せた頃くらいの2013年、

アリスが復活して、
全国ツアーを行っているってのを知り、
無我夢中で
武道館コンサートに行きましたよ。

そのライブのMCの時、
私はステージに向かって、
「また会えたよ~!
約束守ってくれてありがと~」
って叫んだ。(心の中で)

そんなアリスと出会う前の
中学3年生の頃、
私は訳あって一人で暮らす事となった。

親父が一人暮らしは辛いだろう・・と、
香里園のダイエーの屋上にあった
ペットショップに置かれた
「貰ってください」
の段ボール箱の中にいる
数匹の子猫の中から、
1匹の子猫を貰ってくれた。

猫との2人暮らしとなり、
1年半が過ぎた頃、
親父と暮らしていた3歳下の弟の
雄二が戻ってきたので、
雄二と猫と私の暮らしが始まった。

当時、中学生だった雄二のお弁当を作り、
二人分の朝晩のごはんの支度もして、
新聞配達のバイトも一緒にやった。

しかし、辛いなぁ・・とは思わずに、
いつもアリスと猫に励まされ、
曲がった世界にも流されず、
「夢」しかないけれど、
「夢」だけはあった平野恒雄は、
事ある事にアリスを聴いて、前を向いて、
「今にみとれよ!」と気合を入れた。

もし、もし高校生のあの時、
私がアリスと出会わなければ、
あの時代をちゃんと乗り越える事が
出来なかったかもしれない。

だから
チンペイさんの訃報を聞いた時は、
身体が震えた・・・。

今夜、久々にギターを取りだし、
アリス全集を畳に置いて、色々な曲を
弾きながら小さな声で歌っていると、
何故か涙があふれてきた。

その涙は、
チンペイさんが亡くなった事の
悲しさはもちろんの事だけど、
十代のあの日あの時、
実は辛い事がたくさんあったのに、
「辛いと思ってはいけない」
と頑張っていたあの時の感情が
音楽と共に思い出されたから。

ありきたりの言葉だけど、
谷村新司さんの御冥福を
心よりお祈りいたします。

谷村新司さん、
どうもありがとうございました。


共有: